南端村(みなみはたむら)は、かつて大分県速見郡に存在した村である。4つに分割され、現在の宇佐市、杵築市、日出町、別府市の一部となっている。南畑とも表記される。
現在は日出町立南端中学校・日出町立南端小学校等に名をとどめる。
歴史
近世まで
豊前国と豊後国の境界に位置する地域であった。
南畑村は、中世には日出荘と呼ばれる荘園の一部で、1601年(慶長6年)に日出藩領となった。
一方、天間村(あままむら)は由布院の一部で、大友氏の直轄地であったが、その没落後、幕府領を経て、1601年(慶長6年)に中津藩領となり、その後、小倉藩、熊本藩、日田藩、幕府領、島原藩、高松代官所支配地と支配者が頻繁に変わった。
近代
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、南畑村・天間村が合併し、速見郡南端村が成立。南畑、天間はそれぞれ南端村の大字となる。1891年(明治24年)の人口は1,648人。
- 1955年(昭和30年)8月1日 - 大字南畑の一部を宇佐郡安心院町、速見郡山香町へ編入。それぞれ、安心院町大字南畑、山香町大字南畑となる。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 大字天間全域及び大字南畑の一部を別府市へ、大字南畑の残部を日出町へ編入し、南端村は閉村となった。それぞれ、別府市大字天間及び大字南畑、日出町大字南畑となる。
参考文献
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 44 大分県』角川書店、1980年1月
関連項目
- 大分県の廃止市町村一覧




