マイソールサウンド(欧字名:My Sole Sound、1999年4月8日 - )は、日本の競走馬、誘導馬。主な勝ち鞍に2002年の中日新聞杯、2003年の京都記念、2004年の京都金杯、マイラーズカップ、2005年の阪神大賞典。
経歴
競走馬時代
2001年11月24日に中京競馬場の新馬戦でデビュー。5番人気であったが見事に勝利を挙げた。しかし2勝目までに半年を要し、翌2002年の皐月賞や日本ダービーに出走することは叶わなかった。その後、条件戦を連勝し秋には重賞初挑戦となる神戸新聞杯に出走したが12着と大敗。結局クラシック競走には出走できなかったものの、格上挑戦となった年末の中日新聞杯で重賞初制覇を達成した。
翌2003年初戦の日経新春杯は9着だったが、次走の京都記念で重賞2勝目を挙げる。その後、大阪杯4着、金鯱賞6着を経て初めてのGIとなる宝塚記念に出走。果敢に逃げたものの16着と大敗した。秋にはマイルチャンピオンシップにも挑戦したが11着、連覇を狙った中日新聞杯も4着に終わる。
2004年は年明けの京都金杯で重賞3勝目を挙げると、中山記念4着を挟んでマイラーズカップで重賞4勝目。しかしGI戦線では苦戦が続き、安田記念は15着、天皇賞(秋)も15着、マイルチャンピオンシップ13着と2桁着順の繰り返しであった。
2005年、日経新春杯7着、京都記念4着の後、阪神大賞典に出走。3000m級の長距離レースは初めてであったが見事に勝利、重賞5勝目となった。しかし天皇賞(春)は8着に終わる。この頃から、それまでのマイル路線から中長距離路線に移行し、秋にはジャパンカップや有馬記念にも出走したが見せ場は作れなかった。
2006年頃からは明らかに成績が下降線を辿り、函館記念や札幌記念等のGII・GIIIレベルのレースでも大敗を続けるようになってしまう。この年には生涯唯一となるダート戦のジャパンカップダートにも出走したがやはり15着と大敗した。
2007年も現役を続け、天皇賞(春)や宝塚記念に出走したが復活の勝利を挙げることはできなかった。同年9月、右前脚に故障を発生し2007年9月20日付でJRA競走馬登録を抹消された。
重賞5勝馬ながら、母の父がサンデーサイレンスということで配合が限られることも影響し、亡きタマモクロスの後継種牡馬とはなれなかった。
引退後
引退後、重賞を2勝した思い出の地である京都競馬場で乗用馬となった後、2008年より誘導馬としてデビューし、2014年9月末頃まで活動していた。
競走成績
エピソード
- 現役時代は47戦したが、単勝1番人気に支持されたことは一度も無かった。
- 京都金杯と阪神大賞典は父タマモクロスとの親子制覇である。ただしタマモクロスが勝利した時代の京都金杯(金杯〈西〉)は2000mでの施行であった。
- 重賞は5勝しているが、GI戦線では全くと言っていいほど実績を残せなかった。当馬はJRAのGIレースに11回出走しているが、2005年の天皇賞・春の8着が最高着順で、ほかは全て二桁着順である。
- 全弟のマイハッピークロスが当馬の引退直後のレースで勝利し、兄に花を添えた。その後は兄同様、京都競馬場の誘導馬になった。
- サンデーサイレンスをブルードメアサイアーに持つ競走馬としては初めてJRA重賞を制覇した。
血統表
脚注
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post
- マイソールサウンド - 競走馬のふるさと案内所




