ダン・リー・ブリッグス(Dan Lee Briggs, 1952年11月18日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。
来歴・人物
1982年7月に不振のラリー・ハーローの後任として急遽獲得される。来日直後の活躍から4番を任されたが打順を意識しすぎ平凡な成績に終わる。しかし、日本語学校に通うなどの真面目な姿勢から来季には日本の野球に順応することが期待されて残留となった。
2年目となる1983年は6・7番を中心にフルシーズン出場を果たし、オールスター後のみの打率は3割に達した。しかし、外国人選手としてはなお数字的に物足りず、自身の起用法への不満も口にするようになったことから、この年で解雇となった。
1983年7月13日には神宮球場で行なわれた対横浜大洋ホエールズ戦で、死球で出塁した後のプレーにおいて、2アウトで併殺崩しの必要もなかったにもかかわらず二塁手の高木豊の足を払うスライディングを行う。怒ってボールをぶつけるような仕草をして向かってくる高木をほぼ一方的にブリッグスが殴って両チーム選手の乱闘となり、ブリッグスと高木の2人とも退場処分になった。
詳細情報
年度別打撃成績
記録
- 初出場・初先発出場:1982年7月30日、対広島東洋カープ14回戦(広島市民球場)、5番・中堅で先発出場
- 初安打:同上、北別府学から単打
- 初打点:1982年8月4日、対阪神タイガース17回戦(明治神宮野球場)、10回裏に山本和行からサヨナラ適時打
- 初本塁打:1982年8月6日、対広島東洋カープ17回戦(明治神宮野球場)、1回裏に津田恒美から右越2ラン
- 1試合3本塁打:同上(他の2本は5回裏に山本和男から2号ソロ、7回裏に大野豊から3号ソロ)
背番号
- 38(1975年 - 1976年途中)
- 4(1976年途中 - 同年終了、1982年途中 - 1983年)
- 21(1977年)
- 23(1978年)
- 24(1979年)
- 33(1981年)
- 11(1982年 - 同年途中)
脚注
関連項目
- 東京ヤクルトスワローズの選手一覧
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)



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