1992年の日本ハムファイターズ(1992ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1992年の日本ハムファイターズの動向をまとめる。
この年の日本ハムファイターズは、土橋正幸監督が1973年にシーズン途中から後期のみ監督を務めて以来、2回目の監督を1年だけ務めたシーズンである。
概要
1981年以降優勝から遠ざかるチームの立て直しのため、1973年の後期に監督を務めた土橋監督がこの年から再び就任。19年ぶりに指揮をとった土橋新監督のもと4月を勝ち越すなど、チームは好スタートを切った。その後5月に借金生活に入るものの持ち直し、1988年以来4年ぶりのAクラス入りが期待された。しかし、8月以降大きく負け越しオリックス・ダイエーに抜かれて5位に転落。終盤は最下位転落の危機に見舞われたが、ロッテの追い上げを振り切って辛うじて5位を死守した。投手陣では広島からトレードで移籍して14勝をあげた金石昭人がローテを守り、また守護神には前年台頭の白井康勝が控えたが、エースの西崎幸広が内転筋の故障に苦しみ、柴田保光も援護に恵まれず、共に6勝止まりでチーム防御率は3.72から4.20へ低下。打撃陣は主砲のマット・ウインタースやルーキーの片岡篤史、4年目の中島輝士、外野手の鈴木慶裕や五十嵐信一らの活躍が目立っただけでそれ以外の選手は不振に終わり、また田中幸雄が右肩の故障でシーズンを棒に振るなどの影響も大きく、チーム本塁打は99本の4位だった。8年ぶりの最下位こそ免れたが、9月30日には本拠地・東京ドームで西武に5-14で敗れ、森祇晶監督の3年連続胴上げを許す屈辱を味わった。1989年からのBクラスを脱却できないまま、土橋監督は契約一年残して解任。後任の監督選びは難航したが、大沢啓二球団常務が大社オーナーの説得に折れる形で再び就任した。
チーム成績
レギュラーシーズン
個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
打撃成績
- 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高
サンヨーオールスターゲーム 1992
- この年の日本ハムは監督推薦による選出のみであった。
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
脚注
注釈
出典


![[MIDI] 2000年 日本ハムファイターズ 19 YouTube](https://i.ytimg.com/vi/9CdfYOdnA9A/maxresdefault.jpg)

